top of page
執筆者の写真武田 陽司

昭和の草刈り事情・・のお話し

更新日:2022年7月30日




こんばんは。

梅雨入りで間近ですね。


これから数ヶ月は元気な雑草とのイタチごっこ。草刈り仕事が始まります。

相変わらず、4時過ぎには目が覚めてしまう毎日。


今日は日曜日。お仕事も空っぽ・・。曇天っぽい草刈するには絶好の朝です。

気合を入れて実家に帰り、6時半から13時半まで7時間ぶっ通しで山の辺刈、7反4枚分の田んぼの畦草刈をしました。


流石にくたびれました。作業終了時、ポケットに入れていた万歩計を確認すると、何と13時半の時点で2万2千歩!!

ちょっと遅めの中飯たばこで横になっていると案の定、両足同時につりました。

この時期、私にとっては「あるある」です。ヨロクソになったもんです。

夜中につることもシバシバ・・しかし、ひとりで騒ぐだけでどうにもなりません。

一緒に寝ているチビ(次男坊)が目を覚まし「父ちゃん何しとる!?」と言って、チビはまた熟睡状態に入るのです。


そんな草刈り作業ですが、以外と嫌いではないんです。

多分、努力した成果が即、現れるからと思います。作業終了後、キレイになった風景を見て自己満足するのです。(写真)

従って、即効果の出ない事は苦手です。ダイエットとか・・


さて、前置きが長くなりましたが、昭和の草刈り事情でこんな話しを聞いた事があります。


今は、草を刈る際に良かれと思い、土地の境界線よりややオーバーするまで刈っています。

(境界線がよく分からない・・と言うのもあるのですが・・)

土地の所有者と後日出会うと「ありがとね・・余計に刈ってもらって~」何て会話が互いに交わされるのです。お互い様・・と思っていたのですが・・


昭和40年代以前のお話しと想像しますが、境界線をオーバーして草を刈るなんでタブーだったとの事。

何でだかわかりますか~?

ヒントは写真にあります。


答え:そうです。草は、貴重な牛のお食事なのです。

農家には、牛が一頭は居た時代。よその土地の草を刈って牛に与えるなんてもっての外・・だったみたいです。

それこそ、朝の4時、5時から「朝間仕事」と言って、先ず草刈り作業で一日が始まります。もちろん、草刈り機などありません。

鎌で草を刈り、刈った草を縄で束ね、馬屋まで担いで帰るのです。

そして、干し草にしたり、飼料やワラを混ぜ牛のお食事として与えるみたいです。


あ~、考えただけで気が遠くなります。

私は草刈り機での草刈り作業しか知りません。

そのうち、約20年前? 父が購入した「畦草刈り機」(写真)が一世を風靡。現役で動いてくれているので、当時のご苦労を考えると、「よくやっておられたな~」「そりゃ、膝や腰も悪くする・・」「自分は随分、楽をさせてもらってるんだな~」とつくづく思います。

感謝・・。


写真は「昭和の結婚」の写真で登場した、大正生れの私の爺ちゃん、婆ちゃんです。

私が幼い頃、我が家でも牛を飼っていた事、覚えています。

べんた(子牛)を育て、牛市場でオークション?に掛ける・・。

農家にとっては貴重な現金収入源だったみたいです。

※牛市場(今は宍道町、写真当時は??)に連れていかれる朝の親牛と子牛の別れ

 牛達も別れを察していました。見ている方も辛かった・・





閲覧数:148回0件のコメント

最新記事

すべて表示

Comentarios

Obtuvo 0 de 5 estrellas.
Aún no hay calificaciones

Agrega una calificación
bottom of page